Mar 15, 2011
結婚式の会場は、結婚式のイメージ
結婚式場を決める時、夫婦になる二人のこだわりを持って訪ねて行きます。ファッションや化粧したり、希望を持っていきます。結婚式の章では、いくつかの計画を用意しています。訪れるのイメージを持つことができます。主役の二人だけではなく、参加される方にも満足して所があればよいでしょう。ホンファルエ年齢制限はないと思います基本的に本人がその気になりさえすれば、その時が婚活の時間ではないでしょうか。この婚活年齢制限を作っているのは、一般的に言ってつまらない常識慣習のようなものではないでしょうか。いい歳刻みとかそういうことが阻害しているのです。一人でいる寂しさを十分に分かっている事柄です。知ってるくせに他の人も、その境遇しようという意思が働くのが人間ですよね。
東京空襲で亡くなった那覇市出身の写真家、〓宮城(ぐしみやぎ)昇氏(1906?45年)の作品が、没後から66年、新たに3点見つかった。那覇市に住む男性から琉球新報に持ち込まれた写真を那覇市歴史博物館に照会したところ、写真に〓宮城氏の写真館「昇スタヂオ」の刻印があることなどから、同氏の撮影した写真であることが分かった。
写真には、1939年に沖縄を訪れた日本民芸協会一行の調査などが収められている。同博物館は「〓宮城が日本民芸協会の調査を撮影したことを再確認できるいい資料だ」と評価している。
〓宮城氏は東京写真専門学校(現東京工芸大学)を卒業し、31年に那覇市上之蔵に昇スタヂオを開業した。肖像写真を中心に撮影しながら、戦前に行われた那覇大綱挽など県内の歴史的な行事をフィルムに収めてきた。
2010年夏ごろに建築物の廃材の中から同写真を発見した解体業の知人から託された浦崎直恒さん(58)=那覇市=が「昔の沖縄を写した貴重な写真かもしれない」と写真15点を琉球新報に持ち込んだ。
同博物館は、昇スタヂオの刻印がある写真や日本民芸協会発行「工芸」百号に掲載された写真など4点を同氏の撮影と判断した。その他の写真も「1939年時の日本民芸協会の調査写真と思われるものが多く、その調査を撮影した〓宮城のものと思われる」としている。1点を除き、〓宮城家から写真、資料の寄贈を受けた同博物館も所蔵していない作品だった。
〓宮城氏の長女、嘉手納ヤエ子さん(74)=那覇市=は「もう少しで捨てられそうになっていた写真を残してくれてありがたい。写真については素人だが、どれもすてきな写真ばかりだ」と写真に見入った。
同博物館学芸員の志村絵里奈さん(32)は「日本民芸協会も〓宮城の写真を保管しておらず、刻印が打たれたオリジナルが見つかるというのは価値がある」と語った。
同博物館は20日まで企画展「戦前の被写体 〓宮城昇の写した世界」を開催している。新たに見つかった写真の展示は13日から。
※注:〓は「双」の下に「牛」
【西表島=竹富】環境省西表野生生物保護センターで約14年8カ月飼育されていたイリオモテヤマネコの「よん」(雄)が9日午後10時59分に死んだ。
飼育期間は過去最長。推定年齢は15歳1カ月で、確認されているイリオモテヤマネコで最長寿だった。ヒトの年齢に換算すると100歳を超える大往生だった。
よんは1996年8月6日、西表島の県道で交通事故に遭ってけがをしているのを発見された。後遺症で野生復帰が困難と判断されたため、同センターがイリオモテヤマネコの研究や普及啓発を目的に飼育していた。交通事故に遭って生き延びた唯一のイリオモテヤマネコでもあった。
2010年12月に体調を崩して生命が危ぶまれたが、その後回復。徐々に運動機能も取り戻したものの、4月5日から再び体調が悪化していた。死骸は死因究明などのため鹿児島大学農学部に移送した。
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那覇市出身の渡辺正さん(50)=宮崎県=が3月26日から4月5日まで福島県南相馬市入りし、ボランティア活動を続けた。同市は支援物資が届かない状況が続いており、渡辺さんは母校・首里高校同窓会「養秀同窓会」のインターネット掲示板を活用し、同窓生たちに日持ちする野菜の提供を呼び掛けるなど、被災地に今必要な支援を発信。呼び掛けに応じ、同窓生からたくさんの支援物資が南相馬市に届いた。
福島第1原発の避難区域、屋内待避区域を抱える南相馬市は、放射能被害を恐れ、特に大手からの支援物資が届かない状況が続いている。渡辺さんは「物資が入らないなら人が生きていけない」と同市でボランティア活動をするため、会社を2週間休職し、陸路で南相馬入りした。
市民の8割が住む屋内退避地域には寝たきりや一人暮らしの高齢者など援護が必要な人たちも少なくない。渡辺さんは、南相馬市災害ボランティアセンターのメンバーと共に要援護者リストの350人の家を訪問し、安否を確認。生活物資を手渡すと同時に、ニーズ調査も行い、誰がどのような支援を必要としているのかデータ化した。
なかなか入ってこない支援物資を募るため、養秀同窓会掲示板を使って呼び掛けたところ、2週間で多くの物資が集まった。渡辺さんは「顔も見たことのない先輩、後輩から物資が届いた。本当は一人一人にお礼を言いたい」と感謝する。
原発問題の解決のめどは立たず、被災地の復興には長時間かかるといわれている。「支援のニーズはさまざま。個人ができることを地道にやり続ける必要がある。県は避難者を受け入れているが、復興には雇用を増やすことも必要だ」と話した。
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